出世コースを見抜く方法
私が勤務する名古屋市役所の出世コースについての調査方法です。
政令市で役所ということで、情報の入手が比較的容易でしたが、大企業なら大体似たような手法で調査できるように思います。
1.ゴールの明確化
トップダウン手法により、ゴールに達した人(内部昇格の経営幹部)の経歴を調べる。
役所で言うなら副市長が過去にどういう部署を経験してきたか。
10人分も調べれば傾向が見えてくる。
(総務局長、財政局長、水道局長の出身が多く、土木局長や出先区長の出身では副市長までは達し難い。)
これは就任時の報道でわかる。
「新たな副市長に◯◯氏が就任。H24より総務局長。財政課長や監査事務局長を歴任」などと出る。
大手企業の社長はじめ経営幹部も同様。
2.ゴールに至る道筋
次に、彼ら「ゴールに達した人」が過去のどのポストを経験したかをたどる。
歴代の総務局長の経歴を追い、そのうちの半数が人事課長経験者と判明すれば、「人事課長」が主要ポストであることが確定できる。
同様に、歴代「人事課長」の経歴を追い、そのうちほぼ全員が「人事係長」を経験していることがわかれば、人事係長→人事課長→総務局長のキャリアが副市長(経営幹部)に至る有力コースと判明する。
これは社内名簿により調査を進める。官庁の場合は県立図書館で年度ごとの「職員名簿」「職員録」を調査、あるいは社歴の長い人に借り受ける方法による。
主要ポストと主要ポストの間に所属するものはノイズと見て良いが、これも過半数が経験するならば主要ポストに準じるものと見る。
つまり、歴代「人事課長」が10名居るとして、
うち1名が人事係長→住宅課長→人事課長
ならば「住宅課長」はノイズ(出世に影響しない、主要ポストが空くのを待つための待機ポスト)
一方で、仮に10名中5名が
人事係長→道路課長→人事課長
ならば「道路課長」は主要ポストと見て良い。
つまり、「人事係長」を経験していない「道路課長」は、「人事課長」にはなれないものの、将来いずれかの高位ポストに就くべき主要ポストと見られているものと確定できる。(人事課長候補者を充てるべき主要ポスト)
3.ボトムアップ手法によるキャリア設計
アラサー層の近視眼的な目標。
ヒラから係長に昇格した人の出身部署を調査
項番2の職員録による調査手法による。
この場合、自分の出身部署は所与なので、
その範囲内で、例えば「総務局のヒラから係長になった者は◯名、うち本庁係長は1/3の◯名、残り2/3は出先」等と実例から調査ができ、
さらに数年分の実例を深掘りすることで
「総務局のヒラから係長となり出先に出された◯名のうち、初回の異動で本社係長として復帰した者は◯名」と実態がつかめる。
ここまですべて県図書館に保管されている名簿はじめ新聞報道などの公開情報により知ることができます。
名古屋市の歴代総務局長について
古い資料を辿り調査を進めたところ、助役(副市長)に至るためには「総務局長」「財政局長」「水道局長」「交通局長」を経験する必要があることが明らかとなりました。
これは旧時代に語られていた助役の選任ルール「総務・財政経験者から1名」「公営企業管理者経験者から1名」にも合致するものです。
これらのうち、「総務局長」「財政局長」は事務職員のポストで、技術職員が局長を務めることもある「水道局長」とは状況が異なります。
また「交通局長」の多くは財政局の主要ポストを経験しており、財政OBの上がりポストとなっている様子が見られます。
ここでは歴代総務局長の経歴を辿り、そのキャリア形成に迫ることとします。
なお、名古屋市役所の「総務局」は総務部系統と企画部系統の機能を併せ持っており、他の都市にある企画局・政策局の要素を持っています。
■三芳 研二
27-28現在 総務局長
24-26 交通局長
21-23 病院局次長
18-20 財政局財政部長
17 財政局財政課長
15-16 市民経済局企画経理課長
財政課長、財政部長を経験しており、また他局の企画経理課長を務めていることから、本来は財政主流のコースを辿っておられたものと思われます。
のち理財の才を買われ病院局、交通局の経営に携わったものかもしれません。
■葛迫 憲治
25-26 総務局長
24 市長室長
22-23 総務局副局長
21 市民経済局理事(文化・地域振興・人権)
18-20 市民経済局地域振興部長
15-17 市民経済局総務課長
14 市民経済局区政課長
13 市民経済局地域振興課長
12 市民経済局付主幹(名古屋産業振興公社総務部長(出向)
退任後は中部国際空港株式会社常勤監査役となられており、同社の報告書で経歴を確認できます。
■三宅 勝
23-24 総務局長
21-22 水道局長
19-20 消防局理事(防災・危機管理
17-18 総務局総合調整部長
15-16 総務局付参事 共済組合事務局長
12-14 上下水道局経営企画課長
11 水道局緑業務所長
8-10 秘書室主幹(国際交流推進・公館担当)
2 水道局総務課広報係長
S63 水道局守山業務所営業係長
水道局長の記事で触れていますが、水道畑の方です。
業界新聞の記事(水道公論:表紙の人に聞く 三宅 勝氏・名古屋市上下水道局長-日本水道新聞社)には「昭和50年3月、名古屋大学経済学部経済学科卒業後、名古屋市に奉職。平成2年水道局管理部総務課広報係長、平成8年秘書室主幹(国際交流推進・公館担当)、平成12年上下水道局総務部経営企画課長、平成17年総務局総合調整部長、平成19年消防局理事(防災・危機管理担当)などを歴任、平成21年4月に現職に就任。」とあります。
■入倉 憲二
22 総務局長
20-21 住宅都市局長
18-19 住宅都市局理事
12 総務局企画調整室長
都市計画畑の方のようです。
退任後は副市長になられました。
■長谷川 博樹 2009
09 総務局長
07-08 市民経済局長
06 財政局契約監理監
03-04 総務局職員部長
00 総務局人事課長
98 環境保全局環境管理室長
09年度末に総務局長で退職され、(財)名古屋市みどりの協会理事長となられました。(「平成21年度 名古屋市退職職員の再就職状況について 」)
■松永 恒裕
07-08 総務局長
04-06 健康福祉局長
02-03 健康福祉局理事(高齢・健康)
00-01 健康福祉局高齢福祉部長
98-99 健康福祉局介護保険準備室長
介護保険制度の立ち上げの際、名古屋市における制度設計に尽力されたようです。
退任後は市美術館館長に。
■鴨下乃夫
04-06 総務局長
02-03 市会事務局長
00-01 市民経済局理事(文化・地域)
98-99 総務局職員部長
96 総務局プロジェクト室長
退任後はセントレアの監査役となられ、同社の資料で経歴が確認できます。
■諏訪一夫
02-03 総務局長
01 市民経済局長
00 総務局理事(行政改革)
96 財政局財政部長
退任後に博士号を取得され、2016年現在は名古屋市立大学の特任教授となられています。紹介ページに経歴あり。(「元名古屋市職員(財政課長、財政部長、行政改革理事、市民経済局長、総務局長を経験)」
(諏訪 一夫 SUWA Kazuo - 名古屋市立大学経済学研究科/経済学部)
■因田義雄
01 総務局長
のち副市長になられました。
■競和巳
99-00 総務局長
96-98 市民局長
95 名東区長
■日高正行 96-98?
1963年 立命館大学法学部卒業
名古屋市役所財政局に勤務
1982年 総務局人事課長
1984年 同 総務課長
1991年 同 プロジェクト室長
1992年 市港区長
1994年 市市民局長
1996年 総務局長
1998年 収入役
2002年 (財)名古屋観光コンベンションビューロー理事長
・立命館大OBで、05年の同窓会誌(http://alumni.ritsumei.jp/report/pdf/221.pdf)にインタビューあり。
■竹内正 91-92?
-90 財政局長
のち助役となられました。
名古屋市の歴代交通局長について かつての助役に至る道
名古屋市の歴代助役(副市長)は、伝統的に「総務・財政系」から1名、「公営企業管理者(上下水道局、交通局)」から1名が選任されてきました。
比較的生え抜きの多かった水道局と異なり、交通局長となった方々は、総務局や財政局の主要ポストを経験している場合が多いようです。
公共交通だから、とのタテマエで赤字経営を強いられる組織。
そんな交通局を支えた財政のプロたち。
■二神 望
27-28 現在 交通局長
25-26 市長室長
24 財政局契約監理監
22-23 総務局東京事務所長(局長級)
21 総務局外郭団体改革推進担当部長
19-20 総務局付参事(名古屋市立大学病院管理部長 出向)
16-18 総務局総務課長
14-15 総務局行政経営室長
13 総務局総合調整部主幹(企画調整)
12 総務局総務課庶務係長
インタビュー記事などは発見できず。
■三芳 研二
27-28 総務局長
24-26 交通局長
21-23 病院局次長
18-20 財政局財政部長
17 財政局財政課長
15-16 市民経済局企画経理課長
不祥事が多発したH26年、謝罪コメントや報道が目立ちます。
財政畑で他局の企画経理課長を経て財政部長、のち経営に携わっておられます。
■長谷川 康夫
20-23 交通局長
18-19 総務局理事(指定都市間の連絡調整)
16-17 財政局財政部長
15 名古屋市立大学事務局参事(学務)
13-14 財政局財政課長
12 交通局営業本部経理部経理課長
交通局の経営に長く関与されたようです。
関連会社「名古屋交通開発機構」の20週年コメントあり。(http://www.do758.co.jp/pdf/20th_p03.pdf)
■吉井 信雄
16-19 交通局長
15 監査事務局長
13-14 市民経済局理事(産業流通)
12 総務局企画部長
退任後、代表監査委員を務めるかたわら、市立大学特任教授となられました。(吉井信雄 YOSHII Nobuo - 名古屋市立大学経済学研究科/経済学部)
名大経済学部OBとして、その同窓会である「キタン会」で講演をしておられます。(第5回名古屋大学ホームカミングデイ)
市大のページをみると、在任中から研究をものしておられたようです。
■塚本 孝保
14-15 交通局長
12-13 交通局次長
退任後は助役となられました。
H28現在、交通局長出身者では最後の助役(副市長)です。
名大法学部卒、交通局で入庁、財政局をへて交通局長との情報があります。(5月臨時会での主な議案に対する会派別態度)
■髙木 勝義
12-13 交通局長
退任後は、名古屋市都市整備公社理事長になられました。
歴代の上下水道局長 「水道一家」のいま
歴代上下水道局長
これまでの調査から、次のことが明らかになりました。
・戦後の名古屋市長7名のうち職員OBが3名。うち教員出身の松原氏を除くと、行政職出身の杉戸氏、西尾氏の2名がともに水道局長を経験している。
・2000年以降に副市長(助役)を務めた12名のうち、山田氏は水道局長出身、また企画部長を務めた同氏を始め、ほとんどが総務局、財政局で主要ポストを経験している。
ここでは歴代の水道局長について調べ、人はいかにして水道局長になるのかに迫ります。
伝統的に「水道一家」と呼ばれ内部の結束が強いといわれた水道局。しかし近年は潮流が変わり、生え抜きの伝統は平成22年まで局長を務めた三宅氏で途絶え、以後は外様出身の局長が続いています。
■丹羽 吉彦(外様)
H28 上下水道局長
H27 市長室長
H25-26 総務局副局長
H23-24 市長室次長
H21-22 総務局総合調整部長
H19-20 総務局総務課長
H17-18 総務局企画調整室長
H15-16 総務局総合調整部主幹(企画調整)
H13-14 総務局総務課庶務係長
H12 市長室秘書課主査(特命)
H28の就任時の挨拶文(組合だより - 名古屋市指定水道工事店協同組合)によると、「市役所に入庁以来、主に総務局や市長室を中心に仕事をしており、上下水道事業に関わるのは今回が初めて」とのことです。秘書や総務など、主に管理部門でキャリアを積んで来られたようです。
■小林 寛司(外様)
H25−H27 上下水道局長
H24 総務局副局長
H23 環境局副局長
H20-22 環境局参事(生物多様性条約締約国会議)
H17-19 市長室広報課長
H15-16 総務局企画調整室長
H14 総務局情報課推進課長
H12-13 総務局付主幹 財団法人2005年日本国際博覧会協会派遣
在任当時の業界新聞記事(水道公論:表紙の人 小林寛司・名古屋市上下水道局長-日本水道新聞社)に「名古屋大学経済学部経営学科卒業後、昭和53年に名古屋市に入庁。東区税務課を振り出しに、平成2年市立大学病院管理部情報処理室主査(情報処理担当)、10年総務局企画部企画課企画係長、17年市長室広報課長、20年環境局参事(生物多様性条約締約国会議の誘致担当)、24年総務局副局長などを経て昨年4月、現職」とあり、企画系のキャリアを積んでこられたようです。
■長谷川 和司 (外様)
H23-H24 上下水道局長
H22 環境局長
H20-21 住宅都市局理事(住宅・開発整備担当)
H18-19 住宅都市局都市再生推進部長
H16-17 住宅都市局営繕部長
H15 住宅都市局営繕企画課長
H14 住宅都市局営繕課長
H12-13 住宅都市局営繕部主幹(教育施設建設)
就任時の業界新聞(水道公論:表紙の人 長谷川 和司・名古屋市上下水道局長-日本水道新聞社)には「名古屋大学大学院工学研究科卒業後、昭和53年に名古屋市入庁。昭和62年白鳥総合整備事務所主査、平成2年計画局都心開発推進室主査、12年住宅都市局営繕部主幹、16年同部部長、20年同局理事、22年環境局長を経て23年4月、現職に就任。学生時代に建築学を専攻」とあり、建築系の技師出身。
■三宅 勝(生え抜き)
H23-24 総務局長
H21-H22 水道局長
H19-20 消防局理事(防災・危機管理
H17-18 総務局総合調整部長
H15-16 総務局付参事 共済組合事務局長
H12-14 上下水道局経営企画課長
H11 水道局緑業務所長
H8-10 秘書室主幹(国際交流推進・公館担当)
H2 水道局総務課広報係長
S63 水道局守山業務所営業係長
業界新聞の記事(水道公論:表紙の人に聞く 三宅 勝氏・名古屋市上下水道局長-日本水道新聞社)には「昭和50年3月、名古屋大学経済学部経済学科卒業後、名古屋市に奉職。平成2年水道局管理部総務課広報係長、平成8年秘書室主幹(国際交流推進・公館担当)、平成12年上下水道局総務部経営企画課長、平成17年総務局総合調整部長、平成19年消防局理事(防災・危機管理担当)などを歴任、平成21年4月に現職に就任。」とあります。
■西部 啓一 (外様?)
H19-H20 上下水道局長
H16-H18 市会事務局長
H14-15 市民経済局理事(文化・地域振興)
H13 市民経済局地域振興部長
-H12 市民経済局参事(公聴)
業界新聞の就任インタビュー(水道産業新聞社 バックナンバー)に「昭和47年の入庁以来、企画部門をはじめ、幅広い分野で名古屋市政を支えてきた」とあります。
■山田雅雄 (生え抜き
H19-H23 副市長
H15 上下水道局長
H13 総務局企画部長
H10 総務局企画課長
H9 下水道局建設部計画課長
H5 日本下水道事業団 出向
S46 下水道局建設部施設課 採用
現在特任教授を務める名古屋市立大学のページ(山田 雅雄 YAMADA Masao - 名古屋市立大学経済学研究科/経済学部)に詳細な経歴がまとめられています。
■平子 魁人
H12-H14 上下水道局長 (※ 水道局と下水道局が統合)
H11 水道局長
H10 選管事務局長
-H9 水道局次長
業界新聞にインタビューの形跡(水道公論:表紙の人(平成10年~平成19年)-日本水道新聞社)がありますが、オンライン化はされていないようです。(「表紙の人」「平成11年6月 平子 魁人(名古屋市水道事業管理者)」)
名古屋市の歴代副市長(助役)について 2000年代後半以降
最近は潮流が変わったようですが、もともと助役(副市長)の選任には一定のルールがあったようです。
伝統的に「総務、財政に通暁したもの1名」及び「公営企業管理者から1名」とされていた(古老の言い伝え)ところ、 2009年に就任した河村たかし市長は、副市長について「行政枠2人、民間枠1人」との考えだそうです。(横井利明オフィシャルブログ:もう一人の副市長は...)
また元市議の藤沢氏によると、河村市長になる以前は「2期8年」務めるのが通例であったようです。(入倉副市長の退任に思う - ふじさわブログ)
歴代副市長(助役)
■田宮正道 (任 2014?-2016.5)
技師出身で、旧計画局時代から都市計画の本流を歩まれたご様子。就任当時の報道では、リニア対策が前面に押し出されていました。
大規模プロジェクトを見据えて人材を起用するのは、ごみ問題で起用された鈴木勝久助役のときと近い空気感があります。
〈経歴〉
住宅都市局長
住宅都市局都市計画部長
住宅都市局街路計画課長
東大院・都市工学
■新開輝夫 (任 2013-2016現在)
事務職出身で、総務局総務課長、同人事課長といった主要ポストを経験しておられます。
2012年の局長時代の講演会資料で詳細な経歴を確認できます。(https://www.aichi-npo.jp/5_NPO_shien/5_atarashiikokyo/gyousei/chirasi.kanbu.pdf)
〈経歴〉
市民経済局長
市長室長
港区長
総務局総務課長
同局人事課長
京大・法
■岩城正光 (任 2013-2016)
民間、弁護士出身
児童虐待対策の専門家として、河村たかし市長の肝いりで起用されました。
■入倉憲二 (任 2011-2014.3)
H24読売新聞インタビュー 香川県のご出身だそうです。(堀川1000人調査隊の皆さんともなじみの深い名古屋市副市長の入倉憲二さんの記事が、読売新聞に掲載されていましたのでご紹介します。)
〈経歴〉
2010 総務局長
08-09 住宅都市局長
06-07 住宅都市局理事
00 総務局企画調整室長
名大・法学部
■大西聡 (任 2009.7-2011.2)
初の民間出身副市長として河村市長が起用。
トヨタレンタリース常務、愛知トヨタ取締役を歴任されています。
■住田代一 (任 2008ー)
当時の報道では、「局長を越える抜擢人事」「財政に精通」とあります。(徒然流Blog 名古屋市副市長に住田氏 総務局理事、財政に精通)
〈経歴〉
総務局理事(企画・調整)
同企画部長
財政局財政部長
同財政課長
名大・経済
■山田雅雄 2007-(OB、上下水道局長、企画部長、企画課長、下水道計画課長 東大都市工学)
2016年現在、市立大学の特任教授を勤めておられ、同大のページで詳細な経歴を確認できます。(山田 雅雄 YAMADA Masao - 名古屋市立大学経済学研究科/経済学部)
有史以前
■因田義男 2002- (総務局長)
■塚本孝保 2005-2007 (交通局長、財政系?)
■鈴木勝久 2000-2004 (環境事業局長、計画局次長)
■登内洋人2000-2002
■竹内正 1993-2000 (H5-12助役、H3総務局長、S32名古屋市勤務,S10生。2004名古屋銀行監査役、有価証券報告書に経歴記載あり)
〈竹内氏時代にもう一名?〉
■大沢正隆 85-89? (交通局長、財政課長)
■谷 隆夫81-86(財政局長)
■浅井 ガイチ 73-78(著書『じょやく物語』)
■今城 栄次郎 67-73?(建設局長) 本山市政を良しとせず、同市長就任後1年で退任
■長尾 茂 66頃
■斎藤 武夫 66頃
事務職上がりの市長について − 人臣の位を極める
言うまでもなく、市役所のトップは「市長」です。
中央から派遣される官吏を市長として受け入れていた戦前はともかく、公選制となった戦後の状況を見ることで、法則に迫ります。
戦後の歴代名古屋市長(Wikiより改変引用 名古屋市 - Wikipedia)
代数 氏名 任期 前職
15-16 塚本三 1947ー1952 (名古屋市議、名古屋新聞記者)
17-19 小林橘川 1952ー1961 (名古屋新聞取締役)
20-22 杉戸清 1961ー 1973 (助役、水道局長)
23-25 本山政雄 1973ー1985 (名大教授)
26-28 西尾武喜 1985ー1997 (助役、水道局長)
29-31 松原武久 1997ー2009 (教育長、教員)
32-33 河村たかし 2009ー現在(2016) (衆院委員)
このように、職員出身の市長としては「西尾武喜」氏、「杉戸清」氏の2名がおられます。
市長となる直前までは、事務方トップである助役(現在の「副市長」)、また部局のトップである局長、それも2名ともに公営企業トップである「水道局長」を経験していることが注目されます。
調査の方針として、この出世の階段を遡り、歴代「助役」及び「水道局長」の経歴調査を進めていくことにします。
〈参考〉
杉戸清氏90歳の頃のインタビュー記事
著書
杉戸清『なごやべん―杉戸清さんのおしゃべり』 日進堂書店、1970年
ほか専門である水道関係のもの複数
西尾武喜『感激なき人生はうつろなり』 2005/7/1
市長引退後の西尾氏と元部下たちとの対談
まるはち調査部について
「身体が弱いし、長くまったり働ける地方公務員になろう」と思い猛勉強の末にお役人さまになった。
出先現場で思考力が低下したおじさんたちと机を並べて働くうちに人生に疑問を感じ、「まともな人はどこにいるのか」「本庁とやらにいくとみな仕事のデキる人ばかりらしい」「本庁から来た部長はすごい人」との噂が耳に入る。
こうして若者はお役人さまになろうと思った動機を忘れ、「出世」の仕組みに魅入られる。
「えりゃあさまはどういうキャリアを歩んできたのか?」
「こんな出先にいては情報が入らない。デキる人、偉い人はどんな世界観で生きているのか」
お役所の場合は幹部人事の情報が公開されているので、ある程度調べることができます。
我々は、終戦依頼80年超のデータを元に、出世と人事の動きを解き明かすことを目指します。
調査依頼はコメント欄までどうぞ。